ACIM WB Lesson 38:There is nothing my holiness cannot do.
Workbook for Students
Lesson 38:There is nothing my holiness cannot do.
「わたしの神聖さをもって、全てのことが可能となります。」
問題を挙げることに少々時間がかかった。
特にひとの問題。他人の問題はこちらからみて問題だと見えても、本人にとってはさほど問題ではなかったりする。
逆にとても問題には見えないことが問題であったりもする。
だから、ひとの問題は、そのひとが問題だと宣言ないしは、告白しない限り、実際のところ心の中はわからないものだ。
因って、今回のエクササイズは、”自らの抱える問題”にフォーカスしてみた。
自分の問題であっても、ひとの問題同様、それが本当の問題の真髄なのか、あるいは何かを取り繕うための表層的なものが言語化されているだけのものなのか、そこは本当にじっくり自分に尋ね続けないと見失いがちとなる。
心の闇を創造し続ける原動力は、不安と自己否定、恐れと罪悪感などだ。
子どもたちのことを愛している。
その気持がコンスタントな不安と心配と罪悪感で曇ってしまう状況があることに気づく。
愛することに不安や心配、罪悪感が付帯することなど本来無いはずなのだ。
不安や心配、罪悪感が混在する場合、そもそも愛ではなかったのだろう。
子どもたちのことを思う時、愛しい、かわいい、大切、と思うと同時に、
これからの生活の不安、幸せになってくれるかの心配、自分が出来ることをしてあげてこなかったのではないかという罪悪感などが常につきまとう。
愛するということは、もっと軽やかで、自由で、楽しいもののはず。
不安、心配、罪悪感を無くそうと努力を重ねてきた。精神性を高めたり、様々な本を読んで勉強したり、自分の過去と向き合ったりと、考えられる限りのことをやってきた。
でも、でも、でも、どうしても自分の”力”や”努力”、”頑張り”だけではどうしようもないものがある。
そこに辿り着くために、今までの努力はあったような気がする。
「自分じゃどうしようもならないこと」を気付き、認め、そして頑張ることを止め、明け渡す。
神聖さはそこにマニフェストする。
頑張っている自分は自分じゃなかったんだ。
源、宇宙と繋がっている本当の自分、或いは源、宇宙そのものである自分には、出来ないことはない。
出来ないゲームをすることすら出来る。
だから、本当の壁にぶつかるまでは、エゴマインドゲームの中で、たくさんの汗をかいて、涙も流して、努力という遊びをすることも流れの一環なのだ。
本当の壁を見出した時、そのときこそ真の自分を思い出せるチャンス到来。
そして全ては可能となる。
ではまた♡