Kizuki Cafe by ACIM実践者ルルジュゴン

ACIMの実践を通して、ルルジュゴンがラスベガスから愛のエネルギーをシェアします♡

境界線が無くなるところまでいきつく

Workbook for Students

Lesson 94:I am as God created me.

「わたしは神の創造されたわたしです。」

 

外界に映る世界が騒がしくて、スリリングで、楽しすぎて、

自分の内側に戻る(ハイヤーセルフと繋がる)ことが希薄になった。

 

それにしても内にどんなフィルムを差し込んだのか、

スクリーンに映る物語が余りにもドラマチックで唖然。

夢中になって情報集め、検証、考察、に明け暮れてしまう。

 

Twitter、YouTube、ネットで読める様々なメディア。

どんなに自分の信じることと同じことを声高に叫ぶ内容であっても、

そこに恐怖や不安を煽るものがあったり、憎しみ、戦いを促すものを感じたら、ばっさりと見たり聞いたりするのを控えたい。

 

結局内容も大切だが、声のトーン、軽くて明るい波動で見極めてみよう。

 

両極端に分断されたかのようなこの世の中。

しかし真実は全てが統合されること。

そして真実で無いものは分離され、バラバラに壊れてゆく。

 

ストーリーにはヒーローも必要だが、切れのある悪役も必要。

どちらも今世界で繰り広げられている

映画「お目覚めしよう」には必要な舞台役者達。

 

だからカリカリせずに、ゆったりとポップコーンとビールで

楽しく鑑賞しましょう♪

 

闇勢力の露骨な不正と虚偽には

怒りを通り越して笑けてくるね。

余りにもわかりやすすぎる。

 

それではおやすみなさい。

良い夢を♡

 

 

 

 

 

 

行き詰まったら一皮剥く

Workbook for Students

Lesson 93:Light and joy and peace abide in me.

「光と喜びと平和はわたしの内にあります。」

 

自分自身に対する潜在意識下にあるイメージ。

そこにどうしても居座る頑固な印象がある。

過去と未来のセンチメント、感情と結びついているイメージ。

 

「罪悪感」、「苦しみ」、「葛藤」、

これらを意識化に持ち続ける理由は何だろう。

 

人間観察から導き出された結論は、

人は「罪悪感」、「苦しみ」、「葛藤」を

背負って行きてゆくことが比較的好きで、

これらが存在するからこそ

生きている、と実感できる、、、

と信じこんでいる場合が多い。

 

拭っても拭っても拭いきれない

子どもたちに対する罪悪感。

 

どんなに自分を説得しても

よくやったと励ましても

常にほんのりと残っている

「罪悪感」。

そして「苦しみ」と「葛藤」。

 

「光と喜びと平和」を内在した、罪無き完全な自分。

 

やはりそれを自分だと言い切るのには、少々恐れ多い気がする。

 

昨日ハイキングで汚れた自分の靴を洗っている時、

ふと子どもたちが小さかった時に

小さな靴を洗ってあげたことが記憶に蘇った。

 

めんどくさかった。

小さな靴は可愛かったけど、

早くとっとと洗い終わってしまいたい、っていう気持ちだった。

 

そこで突然浮かんだ自分にとっては衝撃的な一言。

舞い降りてきたメッセージ。

 

「わたしは子育てが嫌いだった。」

 

、、、、、、、

、、、、、、、

、、、、、、、

 

切ない気持ちとともに、

どうしても受け入れ難かったこの真実。

 

「わたしは子育てが嫌いだった。」

 

そうだ、そこだったんだ。

 

子どもたちと遊んだり、

おしゃべりしたり、

ご飯を作ってあげたり、

そういったことより、

仕事が好きだった。

 

おっと、涙が溢れ出た。

ということは、かなり核心をついているのだろう。

 

自分の母親から与えられなかった理想の母親像を

自分に強要しようとしていた。

 

表面的に何をしてあげた、とかどうしたということではなく、

心の中の問題なのだろう。

 

全てのことに喜びをもって子育てをする母親になりたかった。

 

でもなれなかった。

 

、、、なんだ、これだけのことだったのか。

 

認めてしまうと結構あっさりしている。

 

嫌いなことをよくやったという感慨すら湧く。

 

そして不思議と、

「どんなときでも、嫌々ながらの子育てのなかでも、

子どもたちのことはいつも純粋に愛してきた。

そして今も。」

という光り輝く真実が強く浮き彫りとなる。

 

子どもたちを愛している。

これは、子供達へ与えている愛であり、

また、自分に与えている喜びだ!

 

目の前がパァッと明るくなった気がした。

これが本来の自分であることに気づくとともに、

なんとも言えぬ安らかな感覚に包まれる。

 

この世のゲームの針の進行を逆回転させたいとき、

玉ねぎの皮のようなエゴマインドは剥き続ける必要がある。

どんどん裸になっていく。

素の自分を思い出していく。

 

行き詰まったら、もうひと押し、勇気を出して

もう一皮剥いてみるのもいいかも。

少し痛いけど。

だから行き詰まりのように感じることも

とても貴重な気付きのきっかけなんだと思います。

 

子どもたち大好き〜♡、から

みーんな、みんな大好き〜♡って

また多幸感に浸ってます。

 

ナマステ♡

 

 

まったりとした朝の風景

Workbook for Students

Lesson 92:Miracles are seen in light, and light and strength are one.

「奇跡は光の中に見いだせます。そして光とは強さです。」

 

光としての思考システムを採用し、その中に奇跡を観る強さとは、

常に「何か」をやり続けること、或いは意識し続けることなのだろうか。

 

ブレないように、常に真ん中と繋がっているように、、、

それがあたかも呼吸をすることのように自然に感じるときと、

もうやだ、面倒くさい、と感じるときがある。

 

この抵抗感は長年自分で採用し続けてきた

エゴマインドの思考システムが、

最後のもがきの中で苦しんでいるのだと感じるが、

それを手放すことを難しいと感じている自分は何なのだろう。

 

外界に映るもの全て、

人も自然も動物も世の中全てが

一つと知覚できるもの、

それが光と強さ。

 

全てが分離されて知覚できるもの

それが闇と弱さ。

 

10日間マスタークレンズ中です。

今日が4日目。

 

空腹という感覚。

この本来ニュートラルな感覚は、

身体で知覚されると同時に

勝手に過去の記憶や自分の信念で

彩られて行きます。

 

恐怖という感覚が蘇ってきたり、

怒り、悲しみ、というエモーションまで引き寄せることができます。

 

栄養を摂らないと身体に悪い、

筋肉が減ってしまう、

こういった信念も

ファスティングを辛いものにと演出していきます。

 

まずはニュートラルに戻す。

そして自分の好きな色で感情をクリエートして行く。

 

一番大切なポイントは、

好まない感覚が湧き上がってきても、

そんな自分を完全に許すということ。

 

朝、バックヤードで咲き誇る花々を切り花して

たくさんの花瓶に生けてみました。

エネルギーが湧いてきます。

 

息子のお嫁さんのお誕生日プレゼント、

ちょうどよい箱があったのに

最近捨ててしまっていました。

これで少しがっかり。

 

白内障手術の未納請求が今頃届き(手術は2月に行った)

気がかりだったのが、

電話で確かめたところ

病院側の手違いなので、請求書を破棄するようにと言われる。

ホッとする。

 

朝、予定を全て立てた矢先に

夫がドライブに行こうかと誘う。

行きたいけど、予定を崩したくない。

なぜもっと早く言わないかと少々夫を責める。

そんな自分にがっかり。

 

朝生けた花々に囲まれる。

穏やかな多幸感に包まれる。

 

こんな感じで時がゆっくりと流れていきます。

 

知覚するエモーションをラベリングしないことや、

些細なことで心が揺れ動く自分を許してあげること。

 

差し迫ったものが無い時は

心がベタベタしやすくなるので、

サラリとしたタッチを心がけるとしよう。

 

Have a good day!

ACIM WB Lesson 91:Miracles are seen in light.

Workbook for Students

Lesson 91:Miracles are seen in light.

「奇跡は光の中に見いだせます。」

 

光の存在である己の中に奇跡を見つけ出す。

目で見える物質世界と、心眼(真眼)で観る実質世界。

 

最近ブレていような気がする。

いや、本当はブレていないのかもしれない。

ブレているかいないか、基準がしっかりとしていると信じていたものが、

もしかしたらその基準でさえ幻であったかもしれないと気付いた。

 

光の中で奇跡を観るとは、

宇宙の一部になることではなく、

自分が宇宙そのもの、宇宙全体であったということなのだ。

 

だから、「世界を操っている●●が悪だ。」とか、

「悪を取り除き、新しい世界を作る○○が善だ。」

という発想、それこそがおかしなことだった。

 

光の中にある奇跡は、

比喩的に言うと宇宙の中心にあり、

そこに向かうには全方向からアプローチする必要がある。

 

こちら側からみて、あちら側は全てが真逆に映る。

だから、それはどこから見ているかの視点によるもので、

絶対的な基準は無いのだろう。

 

そこに気づくと、自分の立っている場所が

ぐらぐらとふらつくような不安感に襲われる。

 

それでもきっと大丈夫。

固定して直立不動でいるよりも、

ぐらぐらのふらつきを、可動率が広くなったと捉えられるよになるはず。

柔軟性の高まりと実感できるようになるはず。

(わたしは今このトランジットの最中で、

ぐらぐらふらつき感と向き合っています。少ししんどいです。)

 

最近睡眠中、とても忙しい任務遂行をしているような夢を見ています。

かなり深刻、かなり真剣な会議に参加しています。

これは目覚めたあとも覚えていようと思うのですが、

朝起きると見事にな〜んにも記憶に残っていません。

 

そして目覚めてしばらく、

自分の感情が全く無いことを確かめます。

白紙の心。

嬉しくもなく、悲しくもなく、ワクワクもなく、どんよりもなく、

感情無し人間として毎朝生まれ変わっています。

 

そしてそこから噴水ショーのように

様々な感覚、感情、知覚が湧いてきます。

コントロールせず、淀みない噴水ショーを見ている。

これが結構楽しい。

 

どんな感情であれ、コントロールをしないことにより、

ある意味支配下におくことができる。

不思議なパラドックスです。

 

Have a good day!

 

 

 

 

内側に戻ろう

知らず知らずブレていた。

少しずつのブレが気がつくと大ブレになっていて、

ありがたいことにそれも貴重な経験として認識した。

 

今とここから離れて、ワクワクと心弾ませることは

楽しい経験のように感じるけど、

これはブレていく過程であることに後に気付く。

 

それでも結局サイクルの中で

あるべき道を歩んでいるには変わらないのだけど、

今からしばらく、また少し外界への固着から離れて、

自分自身に戻っていく時期が訪れたようです。

 

外界から情報を受取る時、

特に人を介して学びを得たい場合、

 

その内容の正しさではなく、

そこから発せられているエネルギーを感じていこう。

 

自分の望む未来を説く人々、

同じ意見ばかりを探し求めるのでなく、

そういったこだわりを一旦脇に置いて、

優しい気持ち、安らいだ心地よさに重きを置いてみよう。

 

見たいもの、聞きたいものはちょっとした執着になっていってしまいます。

 

インテンションの無い素の自分に戻ること、

そしてガチガチの戦闘態勢になっている心の鎧を取ってしまうこと、

自分を許すこと、甘えること、呑気ちゃんでいること、

そこら辺に振り子の針をちょっと合わせてみようかな、と。

 

山、花、水、風の音、

全部完璧です。

 

 

 

 

 

 

 

気付く→感じてみる→ありがとう→さようなら

Workbook for Students

Lesson 90(Review):

Lesson #79: Let me recognize the problem so it can be solved.

Lesson # 80: Let me recognize my problems have been solved.

 

問題があると認識すれば、その問題は既に解決されている。

 

噛み砕くと、

①自分の中にある問題やあらゆる感情、感覚を、

それらが”ある”ということに気づく。

 

②気付いたものに対して、否定も肯定もせず

ただ受け止めて感じてみる。

 

③”ある”ということに気付いたことを感謝する。

 

④”ある”と認識したものを解放してとろ火で無限大にしてそっと手放す。

 

感覚的な表現だけど、この①から④の繰り返しを

常に常に繰り返す。

 

感情が湧いてくるというのは非常に貴重な現象だ。

こんなまたとない経験を

折角だから楽しんでみよう。

 

タイムラインの構築は、

こうしよう、ああしようと

計画を立てるものではない。。

 

今という瞬間を

自分にとって最高の波動に整えることを

一瞬たりとも怠らずに続けていくことにより築かれるものだ。

 

目に映る世界はいろんなことが起こり続けていますが、

これから年末までは

更に大きなシフトが待っているようだ。

 

今という瞬間に

しっかり足を付けグラウンディングしよう。

 

どんな世界が待ち受けようと、

それはこの内部から出てきた創造物。

 

とにかく意味もなくとても楽しみです♡

 

Have a good day♡

 

 

 

 

弱火でトロトロ状態

Workbook for Students

Lesson 89(Review):

Lesson #77: I am entitled to miracles.

Lesson# 78: Let miracles replace all grievances.

 

奇跡が施されるに値する自分。

そしてその奇跡の数々が、全ての困難、苦痛、不平不満に取って代わる。

 

ということは、この世に困難、苦痛、不平不満が存在する

(かのように認識する)からこそ、

この自分は奇跡に値し、

そしてその奇跡(愛)が全ての困難、苦痛、不平不満に取って代わる、

ということなのだ。

 

にゃーるほど。

 

朝目覚めると同時に全身全霊を包み込む

柔らかい静かな落ち着いた

幸福感。

 

スロークッカーの高温保持というよりは、

普通のお鍋の中の煮っころがしか何かが、

弱火でトロトロとずーっと煮詰められているような感覚。

だから少しエキサイトもしている。

ワクワク、

というよりも

わくわく、

という感じ。(わかりにくー!)

 

弱火トロトロは続く、

多分途絶えることはないのだろう。

 

弱火トロトロのなかにいると

心地よく、安らいで、優しい気持ちがあふるる。

 

ありがたい!

今日も生かされている。

そしてその素晴らしさに気付けたことに感謝。

感謝の輪に更に大きな輪がつくられ、

どんどん輪が広がっていく。

広がって行くと同時に、

自分の中心に集約されて行く。

 

小さな苛立ち(体のどこかが痒いとか、さっきあの人の言った一言とか)

がUnder Controlできるものだと理解すると、

大きな問題も自然と無効化されるものなのですね。

 

Have a good day!