Kizuki Cafe by ACIM実践者ルルジュゴン

ACIMの実践を通して、ルルジュゴンがラスベガスから愛のエネルギーをシェアします♡

意地悪な母への怒り

Workbook for Students

Lesson 53:LESSON SUMMARY #11-15

Lesson #11: My meaningless thoughts are showing me a meaningless world.

Lesson #12: I am upset because I see a meaningless world.
Lesson #13: A meaningless world engenders fear.
Lesson #14: God did not create a meaningless world.

Lesson #15: My thoughts are images that I have made.

 

4日前に日本の実家に電話をした。

それ以来ずっと”鬱”的状態にある。

 

今では実家への電話は年に数回しかしない。

以前は隔週、多いときには毎週のように電話していた。

4年前に里帰りした際、ある気付きと決意をするまでは。

 

誤嚥性肺炎で危うい状態が続く父は胃瘻手術入院のため、

実家は母とわたしの二人きりであった。

 

耳が遠い母。ときに聞こえていても母の気分次第では無視されることもある。

そんな複雑な思いのある母と会話らしい会話の無いまま滞在期間が過ぎてゆく。

 

ふとわたしは自分の健康を母に感謝する言葉を投げた。

何がきっかけだったか思い出せないが、急に気分が高揚し、日々楽しく明るく健康に過ごせていることがとても有り難く、そんなわたしを生んでくれたことを純粋に感謝したくなったのだ。

すると母は急に目を輝かせて、

自分が何度自殺を過去に試みたか、何度中絶をしたか”意気揚々”と(わたしにはそう映った)話しはじめた。

 

なぜそんな話を始めるの?

それにそれらの話は小さい頃から何かにつけて何度も聞かされてきたのに、なぜまたこのタイミングで?

 

こういう母の”告白話”や”愚痴”、”どれだけ自分は被害者か”話はいつもわたしだけに向けられた。

「”〇○○(弟の名前)”はまだ小さいから☓☓☓(わたしの名前)だけに言うけど。。。」

で始まる、陰湿な暗い身の上話。

結局いくつになってもこの手の話を聞かされるのはわたしだけだ。

 

幼い頃からそういう母の話を聞くたびに、可哀想だと思い、一緒に涙し、ときに一緒に怒り、母の不運を一緒に呪い、心をズキズキと痛めていた。

そんなひどい父と別れずわたしを生んでくれ、育ててくれていることに感謝、というより深い罪悪感を持った。

 

と、同時に普段は余り愛されている感の無かった自分を、必要としてくれていることがとても嬉しかった。

 

寝起きに母の狂ったような泣き声を聞き、母の寝室まで母を慰めにいったこともある。

 

父の不貞は母の胸が小さいからだ、と言ったり、わたしの胸を触ってきたり、男は皆浮気をするからそのつもりでいなさい、と諭されたりした。

わたしが年頃になってボーイフレンドと付き合うようになると、

「あんたは年中発情期だね。」と言われたこともある。

なぜか、わたしはこういうことをやられたり言われたりしてもピエロのように笑って、なんとも無いふりをしていた。

 

父は常に母の機嫌を気にしていたし、わたしのことを理解してくれる大人ではなかった。

 

家族の中でわたしはいつも違和感を感じていた。

なんかわたしだけ違う。

そしてそんなわたしを母はカウンセラーのような聞き役に仕立て上げていった。中絶したことや、父の浮気のこと、友人とうまくいかないこと、人から嫌われているということ、などいろいろな愚痴を聞いた。赤裸々に話す母は立派だとさえ思っていた。

子供は他の世界を知らないから、親にズッポリ洗脳されて育ってゆく。

 

そう、母はネガティブな部分でわたしと深い絆を作ろうとずっとしてきた。

 

そして、こうした母の独白を聞くことによって、母と特別な関係を築けたと錯覚したわたしは、次の瞬間また意地悪をされて落ち込む。

わたしが悪いんだ。

わたしの存在、思考がいけないんだ。

母の気に入らないことを言ったりすると、とことん無視されたこともある。

母を喜ばそうとプレゼントをしたり、料理をしても、ほとんど喜ばれない。ときに受け取りさえも拒絶されたりした。

修学旅行のお土産のお財布も、こんな老けた色の財布などわたしにくれるなんて!と叱られ、わたしは「ごめん」といって、その後その財布をずっと自分でもっていた。

 

仕事から帰ってゆっくりお風呂に入っていると、

「なんなの、今日は!☓☓☓(わたしの名前)!」

と財布からお金を抜き取ったという濡れ衣で、会話も無いまま

やかんで頭を殴られた。

その後すぐに自分の勘違いだと気付き、

「あ〜ら、あったわ。ごめんなさい。」(ケラケラケラ)

そして、お母さんも年ね〜。とか笑い話にすりかえる。

 

最悪だったのが、

わたしも一緒に笑ったこと。

本気で怒らなかったこと。

 

後にそのときの怒りを母にぶつけ、正式に謝罪されていない旨訴えると、

「年老いてそんなことを言われるなんて情けないよ。」

と涙ぐみ加害者であるのに被害者側に無理やり周り、

こちらに罪悪感をもたせる。

というかわたしが罪悪感を持ってしまった。

そして、、、自己嫌悪。

どこまで言っても、わたしの心は通じない。

 

父と仲良く話していると機嫌が悪くなる。

父にかわいいね、と言われた時、

職場の女性たちが醜いからかわいくみえるんでしょ、と言った。

 

なにかにつけ母には、

「その仕草、お父さんに似てるね〜。」

と忌々しそうに言われ、

父には

「お母さんにそっくりだね〜。」

と憎々しげに言われる。

 

ほぼ8割仲の悪かった両親だが、

仲良くなると気持ち悪いくらい仲良くなる。

そして「大人の会話に子供が入ってこないの!」

とよく叱られた。

 

仲が悪いときは相談相手にするくせに!

 

母はときにどうしようも無いことを容赦なく口にする。

「口が臭い!」と叱られたり、

「変な歩き方するね!」と忌々しそうに言い放たれたり。

「靴底の減り方が異常だ。」と言ったり。

わたしにはどうしようもないことでなぜかあきれられたり、ときに叱られたり。

 

わたしが困ったり、怒ったりする反応をみて、ものすごく意地悪な笑みを浮かべることもよくあった。

 

心が傷つけられたことを伝えると、

決まって返ってくる答えは、

「そんなこと気にする神経が細かすぎるんじゃない?

あんたは必要ないことをいろいろ気にしすぎる。」

「しつこい。執念深いんだよ、あんたは。」

とまたやり返される。

またしても心が弱い、傷ついたことをすぐに笑って忘れることのできない自分が悪いんだと反省。罪悪感。

 

わたしを攻撃したりディスったりすることで、

自分を攻撃することが好きな人なのだろう。

 

気の毒だけど、わたしの知っている限り母はずっとそういう人だ。

 

弟はそんな母が大好きで、

「お母さんかわいい、宇宙一好き。」とよく言っていた。

そんなかわいい弟の大好きな母を好きになれない自分はひどい人間だと感じた。

どうにか好きになるように、好かれるように、ずっと努力をしてきた。

若い頃の自分の心の闇の要因はここにある。

 

特に自立をしていなかった学童期は、

母との生活でどんどん元気がなくなり、

緊張で手の震えが止まらなくなったり、

社会が怖く、人が怖く、自分が嫌いになっていったという認識です。

 

そんなわたしも、社会に出て、また渡米して

母と離れて暮らすうちに、どんどん本来の自分になって元気になっていったような気がします。

 

あくまでこの世のゲームの中での自分ですけど!

 

さて、今回の電話。

 

4月の日本渡航を予定していたがCovid-19の影響で行けなくなったわたしは、せめてわたしのできることで母を喜ばせたいと、3月から

毎週手紙を送るようになってきた。

 

撮った写真の切り抜きなどで、ラスベガスの新居なども紹介し、母もたいそう喜んでくれた。喜ぶ母の反応でわたしも嬉しかった。

 

その写真のなかに、Backyardでラウンジに寝そべっている状態で庭を撮ったものがあった。写真の下の部分にわたしの膝から下の脚が映っている。

 

母は「あの脚は△△(夫の名前)?」と聞く。

夫はアメリカ人でかなり体格が良くしかも毛深いので、まさか間違えるわけないとは思ったが、脚が写っているものは一枚だけなので、

「わたしがラウンジで撮った、脚だけ写ってるやつ?」と念の為聞く。

「何、あの太い脚!太ったの?」

わたしは痩せてもいないけど、人から太い脚を指摘されるほどではないので、ここでもまだ母はなにか勘違いをしている、と思っている。

「ヨガやってるのに太るの?」

わたしはここでも良心的な笑い声とともに、

「多分なんか違う写真と勘違いしてるんじゃない?」

と明るく返す。

 

これだけのこと。

 

これだけのことだけど、いろんなことが芋づる式に思い出されて、その時々のやりきれない悔しさとか悲しさがこみ上げてきて、

でも一番腹立たしいのは、

わたしがまだ母の愛を求めていた、ということ。

 

手紙を出し始めたのだって、母を喜ばせたいという願いもあるが、どこか、母に認められたい、わたしのことを知ってほしい、という欲求がいまだにあったように思う。

 

どこまで行っても母に片思い。

 

そしてこの執着を断ち切ろうとし、会話無しを貫いてかなり良い状態になってきたと思っていた矢先、

やっぱりもっときっぱりと断ち切らないといけないんだ、と気がついた。

 

手紙は次に出したくなるまで出さない。もう次は無いと思うが。

 

90近くの母に、老い先短いのだから、精一杯愛情表現をしたいけど、これはわたしの母との関係の上ではすっぱりと諦めたほうが良いと気づいた。

 

母が生きていても死んでしまっても、このまま母にすがりついて(自分ではそんなつもりはなかったが)いく生き方はもう金輪際止めにする。

 

ACIMの学びの見地で考察すると、

この怒りも目の前に現われている事象も、全てわたしのエゴマインドの創造物。

 

よくぞここまで手のこんだストーリーを作ったものだ。

 

母という存在を作ることにより、この世でゲームをするわたしは、無能感、分離感、無価値感、虚無感、を充分味わうことができているともいえる。

なんとリアルな怒り。

なんと強固な執着。

なんと現実味のある人間ストーリー。

 

これを手放せば、かなり自由に戻れると確信しました。

 

それではまた♡