Kizuki Cafe by ACIM実践者ルルジュゴン

ACIMの実践を通して、ルルジュゴンがラスベガスから愛のエネルギーをシェアします♡

行き詰まったら一皮剥く

Workbook for Students

Lesson 93:Light and joy and peace abide in me.

「光と喜びと平和はわたしの内にあります。」

 

自分自身に対する潜在意識下にあるイメージ。

そこにどうしても居座る頑固な印象がある。

過去と未来のセンチメント、感情と結びついているイメージ。

 

「罪悪感」、「苦しみ」、「葛藤」、

これらを意識化に持ち続ける理由は何だろう。

 

人間観察から導き出された結論は、

人は「罪悪感」、「苦しみ」、「葛藤」を

背負って行きてゆくことが比較的好きで、

これらが存在するからこそ

生きている、と実感できる、、、

と信じこんでいる場合が多い。

 

拭っても拭っても拭いきれない

子どもたちに対する罪悪感。

 

どんなに自分を説得しても

よくやったと励ましても

常にほんのりと残っている

「罪悪感」。

そして「苦しみ」と「葛藤」。

 

「光と喜びと平和」を内在した、罪無き完全な自分。

 

やはりそれを自分だと言い切るのには、少々恐れ多い気がする。

 

昨日ハイキングで汚れた自分の靴を洗っている時、

ふと子どもたちが小さかった時に

小さな靴を洗ってあげたことが記憶に蘇った。

 

めんどくさかった。

小さな靴は可愛かったけど、

早くとっとと洗い終わってしまいたい、っていう気持ちだった。

 

そこで突然浮かんだ自分にとっては衝撃的な一言。

舞い降りてきたメッセージ。

 

「わたしは子育てが嫌いだった。」

 

、、、、、、、

、、、、、、、

、、、、、、、

 

切ない気持ちとともに、

どうしても受け入れ難かったこの真実。

 

「わたしは子育てが嫌いだった。」

 

そうだ、そこだったんだ。

 

子どもたちと遊んだり、

おしゃべりしたり、

ご飯を作ってあげたり、

そういったことより、

仕事が好きだった。

 

おっと、涙が溢れ出た。

ということは、かなり核心をついているのだろう。

 

自分の母親から与えられなかった理想の母親像を

自分に強要しようとしていた。

 

表面的に何をしてあげた、とかどうしたということではなく、

心の中の問題なのだろう。

 

全てのことに喜びをもって子育てをする母親になりたかった。

 

でもなれなかった。

 

、、、なんだ、これだけのことだったのか。

 

認めてしまうと結構あっさりしている。

 

嫌いなことをよくやったという感慨すら湧く。

 

そして不思議と、

「どんなときでも、嫌々ながらの子育てのなかでも、

子どもたちのことはいつも純粋に愛してきた。

そして今も。」

という光り輝く真実が強く浮き彫りとなる。

 

子どもたちを愛している。

これは、子供達へ与えている愛であり、

また、自分に与えている喜びだ!

 

目の前がパァッと明るくなった気がした。

これが本来の自分であることに気づくとともに、

なんとも言えぬ安らかな感覚に包まれる。

 

この世のゲームの針の進行を逆回転させたいとき、

玉ねぎの皮のようなエゴマインドは剥き続ける必要がある。

どんどん裸になっていく。

素の自分を思い出していく。

 

行き詰まったら、もうひと押し、勇気を出して

もう一皮剥いてみるのもいいかも。

少し痛いけど。

だから行き詰まりのように感じることも

とても貴重な気付きのきっかけなんだと思います。

 

子どもたち大好き〜♡、から

みーんな、みんな大好き〜♡って

また多幸感に浸ってます。

 

ナマステ♡