ACIM Day 10 WB Lesson 10: My thoughts do not mean anything
Workbook for Students
Lesson 10: My thoughts do not mean anything
私の思考には何も意味がありません。
・私のエゴの心が新型コロナ感染症のことを考えていますが、それは何も意味がありません。
・私のエゴの心がひとつひとつのことをこういう時にこそ丁寧に、と考えていますが、それは何も意味がありません。
・私のエゴの心がヨガのことを考えていますが、それは何も意味がありません。
・私のエゴの心が健康管理について考えていますが、それは何も意味がありません。
・私のエゴの心が日本の家族のことを考えていますが、それは何も意味がありません。
考察:
このレッスンは実践が難しかった。
特に自分で正しいと思うことを考えているとき、そういった考えでも同じように意味のないこと、と繰り返すうち、
このレッスン自体がばかばかしく思え、腹ただしくもあった。
空虚感。
世の中が大変なときに、自分は何をやってるんだろう、とさえ感じた。
キタキタ〜!この軽い挫折。
しっかり想定内です。
どうしてACIMを始めたか、そこに帰ってとりあえず続けていきましょう。
そもそうも正しいこと、正しくないこと、って自分で信じて考えたり行ったりしてるけど、そうした判断も思い込みに過ぎないのかもしれないね。
Vipassana Meditation、全身にとても温かな心地よさを感じるようになってくる。
この心地よさに執着するのは危険だけど、
毎朝の瞑想がとても楽しみになってきた。
とても貴重で特殊な環境に世界が変化している。
この新型コロナ感染症騒動の後の世の中は、今とは次元の違うものになるだろう。
さまざまな価値基準も変わり、
道徳観も、倫理観も、全て一変する。
良くなる悪くなるという判断は、
その人のその時の精神的、肉体的、次元的な状況によるだろう。
ただ、大きな意味で、一人ひとりの生活の中での
充実感、幸福感は高まることは間違いない。
そしてあらためて、今までがいかに自分が縛られていたか、
狭い価値観を植え付けられて、それが当たり前になっていたかに気づくでしょう。
だから、自分が今出来ることだけに集中して、
心配をしたり恐れたりせず、
こんな時こそちょっとしたユーモアが大切だね。
誰かや何かを批判して、つかの間の安堵感を得たり、
後悔したり、恨んだり、パニックになったり、
そんなことしてる場合じゃない。
最近夫と朝一緒にYIN Yogaをやるようになってきた。
YouTubeでTraves Eliotのクラスを見ながら、一時間程練習する。
今朝の練習の中でのEliot氏のことば。
「夫婦間でも家族でも友人でも、人間関係に大切なことはコミュニケーションと相手の言っていることをよく聞くことです。
自分の身体も同じです。常にコミュニケーションをとり、自分の身体のちょっとした変化に耳を傾けましょう。」
とても大切な教訓です。
でも人は時に、良いコミュニケーションと相手の感情に巻き込まれることをごっちゃにして勘違いしがちです。
人の言葉に耳を傾けしっかりと聴くことは重要です。
でも、人が放つその時その時の波動にいちいち反応してはいけません。
自分の身体の感覚の変化を、ただひたすら客観的に傍観する練習をVipassana瞑想で訓練していくと、
感情は身体の感覚の変化に、ただ自動的に反応しているに過ぎないことに気付きます。まるでロボットのようにプログラムされているかのようです。
この自動反応に気がつくことにより、心の制御と自主的な捉え方、見方ができるようになってきます。
感情の起伏が少なくなります。
これは既存の人間世界では、退屈でドラマ性の無いもののように感じるかもしれません。
でも実は起伏がないことと、幸福感がないことは全く別物です。
Up、Downの激しい感情的な喜びとは違う、沸沸としたなんか湧き上がる根拠のない幸福感。
ソフトだけど、しっかりとした揺るぎの無い至福感。
だから他人のお話はしっかりとは聞いて、でものめり込まない、巻き込まれない。
私は人の感情に共感しすぎて自分を見失うことが多かった。
そんな自分を心のどこかかで優しい人間ださえ思っていました。
大きな勘違いでしたね〜♪(汗
夜も更けてきた。
眠ります。
おやすみなさい。
素敵な夢を。