ACIM Day 3 WB Lesson 3: I do not understand anything I see.
初日、2日目と同様、目の前に映る全てのもの、そして視線を遠くに広げたところに目に入った全てのものに、私は何も理解していない、と述べていく。
昨日に続き、このレッスンを実践する際、クスクスとこそばゆいような可笑しさがくすぶる。なんだろうこの感覚は。何かが溶けてゆく。ゆっくりとでも確実に。
このVRゲームの世界のゴールを決めるには、やはりその方法が必要だろう。このA Course In Miracleという本はそのゲーム攻略本ですね。ゲーム好き(この世の)人間にはたまらない人生ゲーム解読書といったところでしょう。
ゲームのゴールは、ゲームを楽しんで高得点を取ったり負けたりしながら、最終的には上がらなくてはいけない。つまりゲームを終えなくてはいけない。しかし素直にハイ終わりです、とはならないのは、あまりにもゲームに没頭している(いた)から。
この椅子のことも、テーブルのことも、ホッチキスのことも、日記帳のことも、PCのことも、スマホのことも、暖炉のことも、観賞植物のことも、猫ちゃんのことも、プールのことも、山のこともラスベガスの街並みも、私は何も理解していない。性質とか機能を理解していないということではなく、その存在自体を理解していないのでしょう。或いは存在などしていないのに、いかにも存在しているかのように目に映るからくりすら理解していない。
はい、はい、全く理解していませんよ!そうですよ。降参ですよ。やれやれ、ってところですよ。ってここでまた可笑しさがこみ上げてきました。
テキストもマニュアルも同時進行で読み進めていますが、いかにもゲーム攻略本、或いはダヴィンチ・コード並の謎解きをしているような感覚です。
いよいよ3月20日、春分の日を迎えました。ラスベガス現地時間です。
雨が激しく降っています。
他人との距離感を縮めることが苦手だと信じていた私は、人への本当の意味での愛情に薄い人間だと思っていました。優しさを表現したいとは願っていても、「自分のことのように」つまり繋がりをあまり感じることがなかった。
何ヶ月か前、交通事故の車と救急車を目撃したとき、事故に遭った方と自分が一体になったような感覚に包まれた。車が見えただけで、事故に遭われた方を直接見たわけではないのだけど、事故現場を見た瞬間、その空間が丸い巨大なシャボン玉の中に入ったようなぼんやりした不思議な感覚になりました。同情心ではなく、事故に遭った人と自分が一体化したような。そしてその人だけでなく、その現場全てが。ふんわりとした優しい感覚でした。
新型コロナ感染症による感染者数も、死亡者数も増え続け、外出自粛令も出て、病院、食料品店、薬局など以外の全てのビジネスも停止となったここラスベガス。眠らない街として24時間ギラギラと輝いていたのですが、今はちょっとお昼寝中といったところでしょうか。ここ数日映画の中にいるような、現実味のないストーリーが目の前で展開されています。
そんな中、この変化がなんだか気持ち良いような、よっしゃー来た来た、溜まった膿を出すときだ、痛いけど、何もかも大丈夫、そして温かい柔らかい至福感も続いています。
心を整えて、ぶれずにいれば、この路線は変わらないと思います。でもちょっとした感情の乱れが今は致命的になってしまいそうな予感がするので、自分の内面のメンテナンスは特に大切な時だと痛感します。
毎晩書ききれない程気持ちは溢れているのですが、眠くなったので失礼します。
おやすみなさい。
素敵な夢を♡