Kizuki Cafe by ACIM実践者ルルジュゴン

ACIMの実践を通して、ルルジュゴンがラスベガスから愛のエネルギーをシェアします♡

ACIM Day 1 WB Lesson 1: Nothing I See Means Anything

どれだけぶりのブログだろう。

 

真実を探求し、本当の自分が知りたくて、いろいろな方法で模索、勉強、自己鍛錬を続けてきました。すべてその道程自体が楽しくもあり、かなりの成長も成果もあったと自負しています。

 

が、ここに来て、世の中が大きな波に急激に飲み込まれていく中、以前少しだけかじってそれっきりになっていた「A Course in Miracles」を、今回はしっかり学びたい、知るときがきた、という衝動が起こりました。メッセージが届いたという方が近いかもしれません。

 

自分でもかなり突然のことですが、日々の学びの記録を本日から残していきたいと思い、早速ですがDay 1 Workbook のLesson 1「Nothing I See Means Anything」を実践しました。TextとManualも同時進行で進めて行きたいと思います。やり方間違っていたらどこかの時点で修正されるだろうという、安心感たっぷりの思い込みがあります。自分で始めるというより、始まった、という感覚です。

 

近くにある目にとまったものに、それぞれ一つずつ、これは意味の無いものだと言ってゆく。そして遠くのものも同様に。

机、椅子、スマートフォン、PC、日記、マグカップ、自分の身体、夫の身体、バックヤードのプール、アウトサイドキッチン、レモンの木、Margaritavilleのサイン、、、、

ひとつずつ丁寧に意味の無いものだと認識していきます。

 

抵抗は感じません。ここまで来るまでにさまざまな不思議体験と意識のシフトを体感し、この世はVRゲームのようなものだと確信しているので、目に見えるものは意味の無いものだというのは、そう言われればそうだ、という感じです。

 

とは言えゲーム(夢)の中ではありますが、大切なものには意味を与えたい。意味を与えることが愛することだという誤認、洗脳は根深いものがあります。本当のところは意味を与えることにより愛着という執着が生じているのでしょう。それを削ぎ落としていくのがこれからのワークの要の一つなのでしょう。

 

抵抗は感じませんでしたが、虚無感、寂しさのような切なさのような感情はところどころ見え隠れしました。やはり好きなアイテムに意味無し宣言をするときには。自分が冷酷残虐なことをしているような気分も湧いてきました。特に自分と夫の身体にも意味は無いと述べたとき。日本刀でバサバサとなにかを切りさばいている感覚。そしてなんだか滑稽な全て笑えるなという感情が湧き上がります。

 

第一日目、書き足りないですが、夜も深まって参りました。また徐々にいろいろと付け加えて行けると思います。

 

大変な世の中が突然現れていますが、皆々様の平安と真の幸福を心からお祈り申し上げます。