Kizuki Cafe by ACIM実践者ルルジュゴン

ACIMの実践を通して、ルルジュゴンがラスベガスから愛のエネルギーをシェアします♡

ACIM WB Lesson 76:I am under no laws but God's.

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Lesson 76:I am under no laws but God's.

 

「わたしは固定概念に縛られません。」

 

源(神、真我)から届く法則(真実)のみが根底に流れている。

 

エゴマインドが創作した偽りの真実との見境いはどこで判断できるのだろう。

 

幻想である肉体を守るためという名目で編み出された数々の手法。

 

全てのこと、

朝早く起きること、運動をすること、野菜をたくさん食べること、

睡眠をたっぷりとること、ストレスをためないこと、

インフルエンザの予防接種をすること(しないこと)、

熱いお風呂にはいること、深呼吸をすること、

〇〇を食べること、食べないこと、

☓☓を飲むこと、飲まないこと、

ひとつひとつの行いをエゴマインドのでっちあげなのか、

Voice of Truth(真実の声)なのか、

一旦考え出すとわからなくなる。

だって、どんなに理に適っていないことでも、或いは適っていることにせよ

習慣や長年の思い込み、ただなんとなくの領域で行っていることが圧倒的に多く、その一つ一つがVoice of Truthから届いているものか、

何の確証が持てない。

 

レッスンを進めるうち、

神の法=どこか外側にある自分に与えられるもの

と誤認識しているということに気がついた。

 

神の法とは、自分の法で内側にあるものだったのだ。

自分が法律なのだ。

これはエゴマインドがすかさず反応し、

傲慢で我儘なステートメントだと

グイグイ責められそうだが、

真実はやはり、

自分が法なのだ。

 

既成概念には余り縛られないので、

基本やりたいことをやって、やりたくないこはやらない。

わたしはお陰様で現在は気ままに生活できる状態にある。

そしてもともとの自由人的なこともあって、

あまり常識には囚われていないと思う。

 

当たり前に無意識に行っていること、信じていることも、

ひとつひとつ丁寧に

”それ、ほんとうにあなたがやりたいことなの?”

”それ、ほんとうにほんとうにそれでいいの?”

って自分に聞いていくことも大切だね。

 

ん〜、難しいレッスンでした。

 

おやすみなさい。

ぐっすり寝ましょ♡

 

 

 

 

 

 

ACIM WB Lesson 75:The light has come.

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Lesson 75:The light has come.

 

「光の時代がやってきました。」

 

The Light has come. ”光の時代がやってきました。”

I have forgiven the world. ”全てに赦しが施されました。”

I have forgiven you. ”あなたにも赦しが施されました。”

 

ヨガのクラスのクロージングでわきあげてくる感動と感謝。

泳いでいるときに感じたレモンのあまい香り。

庭の花々に降り注ぐ強く穏やかな光。

光がやってきた。

確かにやってきた。

 

夫のフェイスブックに新しい記事がPostingされましたと通知がくる。

開けてみると瞬時に後悔。

気味の悪い画像で波動が落ちるものだった。

”夫に対して怒りが湧く”

→”見せられた、気分を悪くさせられたという被害者意識”

→”夫に対する攻撃心”

→”夫に反省させるためのうまい方法、復讐を画略(被害者意識と攻撃の融合)”

→”上記全ての感情を抱いてしまった自分への嫌悪感と罪悪感”

→”いつもの無意味なループにハマりかけていることを認識”

→”全部解放、バイバーイ”

→”光の時代ゆえ、軽いタッチで静かに手放せることに感謝♡”

 

イライラループに陥ったときは、

そこから抜け出そうという努力を放棄する。

むしろ少しの間そこにとどまって観察してみる。

子供の頃書いた虫などの観察日記の感覚で。

夫への怒りが湧いたことも全く大丈夫。

被害者意識を持っちゃったことも問題無し。

攻撃心も復讐心も、まぁ当たり前にあるでしょ。

そして最難関ともいえる、自分への嫌悪感、罪悪感、

これを毛嫌いせずに、

だ〜いじょ〜ぶよ〜。

誰のことも(もちろん自分も)責めず。

 

おや、すっきりしてる。

起こっていることへの視点と感覚がガラリと変わってゆく。

このときの感覚、爽快な安堵な心地よさを噛みしめる。

真夏のベトベト汗だくのなか、

なぜか重い毛皮のコートを着ていたものを

すとんと脱ぎ捨てるような感じかな。

なんならスッポンポンになってもいい。

 

捨てることですっきりするなら

捨てない理由などないわけだ。

 

山と空とプールの水面が

朝から元気に壮大なショーを繰り広げています。

美しい♡

花々が笑っています。

ニコニコしています。

 

Have a good day♡

 

 

 

 

 

ACIM WB Lesson 74:There is no will but God's Will.

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Lesson 74:There is no will but God's Will.

 

「全ては神の思し召し。」

 

言い切っている。

源(神)と真我の計画、

そこにエゴマインドの創作する幻想は無い。

よって対立も混乱も無い。

 

なので、頑張ったり踏ん張ったり意地を張る必要が無い。

 

所詮思し召しなのだから。

所詮幸せなのだから。

 

この世のゲームを楽しむも良し。

分離して感じられる”自分とは違うヒト”を愛することも良し。

幻想のなか肉体を通してチャレンジし続けるも良し。

笑うも良し。泣くも良し。

 

幻想ゲームを思いっきり謳歌して、

真の自己の再発見にまた辿り着けば良いのですね。

幻想ゲームで最高の幸せを感じきって、

愛して愛して感謝して感謝して

喜んで喜んで、

360度くるくる見回して、

みんなだ~いすきだよ、って

とにかく嬉しくて。

そういう幻想の現実を創造する。

そこに罪の意識とか、自己否定がなければ

どんどん壁は崩されていきます。

 

おやすみなさい。

良い夢を♡

 

 

 

 

 

 

ACIM WB Lesson 73:I will there be light.

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Lesson 73:I will there be light.

 

「光をそこに灯します。」

 

神(源)と真我の共同作業の日。

決めたからには流れに任せて、楽しく快適に。

 

Vipassana 瞑想のVirtual One-Day Sitting。

朝9時半から夕方4時まで自分の中に入る時間。

顔は見えないけど80名以上の参加者と一緒に静かな寛いだ時間を過ごす。

 

1時間のLunch Breakはプールで遊ぶ。

レモンの木にたくさん実った美味しそうな果実は徐々に光色に変わる。

陽の光で七変化する山々は、その神々しさと優しさで輝いている。

プールに舞い降りる葉をきれいに取り除いてくれる夫。

瞑想をすると目に映る色がますます鮮やかになる。

 

I will there be light. 「光をそこに灯します。明るく輝いて。」

Darkness is not my will.「暗闇の世界はわたしの意図するものではありません。」

 

エゴマインドの創り出す幻想の世界。

ドラマチックで哀愁があって、歓喜感動も織り込まれ、

果てしなく切ない。

幻想の世界では、全ての事象、物事は、常に変わりゆき、いずれは消滅する。

そんな幻想世界に魅せられる人間。

すこし寂しくて、心がキュンとして、

日本のワビサビに通じる脆さのなかにみる

刹那の美しさ。

 

どうしてこんなにも明らかなのに、

真実に帰ることを選択しない人々が多いのだろう、と

いつも不思議でした。

でもこの幻想世界の魅力は確かに捨てがたく、

それに取り憑かれたこころは

そう簡単に起きたくない、目覚めたくないということも理解できます。

 

分離から生じる孤独は、

余りにも美しい幻想を醸し出します。

そこに芸術が生まれ、なお一層人々の心は揺さぶられ魅了されていきます。

 

だから分離を引き起こすこのトリックを設定した

ありとあらゆる存在に

憎悪や敵意や反感ではなく、

つづまやかに感謝を述べ、

ありがとう、今までご苦労さまでしたと

きちんと別れを告げたいと思います。

 

しん(真、神、新)の世界の美しさと光の優しさに包まれながら。

 

目を覚まして遊ぶこの世のゲームは、

また最高におもろしろいものです♡

 

 

 

 

 

ACIM WB Lesson 72:Holding grievances is an attack on God's plan for salvation.

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Lesson 72:Holding grievances is an attack on God's plan for salvation.

 

「満たされない気分を手放さないでいるということは、神が用意している救済計画への攻撃となってしまいます。」

 

What is salvation, Father? ”父よ、救済とは何ですか?”

I do not know. ”私は救済というものがわかっていません。”

Tell me, that I may understand. ”理解できるように教えて下さい。”

 

問いかけをしたままずっと夕日を見つめていた。

何を問うたかも忘れて、ラスベガスの街に沈みゆく

オレンジ色の光をずっと見ていた。

 

暫くして突然

「それは幸せだ。」

というメッセージが降りてきた。

オレンジ色の夕日に暖かなな赤みが差した瞬間だった。

 

幸せになることか。。。

心の中にも明るい色が広がって、

既に幸せはここにあると実感した。

 

エゴマインドは本当に紛らわしく、

どうにかしてこの肉体の中に心を閉じ込めておきたいようだ。

昨夜のわたしも、

まんまと死が究極の救済だと錯覚していた。

 

肉体が自分でないことを思い出せば、

生死など存在していなかったわけだ。

 

肉体の中から心を解放するには、

逆説的なようだが、

徹底的に肉体の隅々までその感覚とともに観察すると良いと思う。

Vipassana瞑想、ヨガ、Reiki、

瞬間瞬間の感覚を研ぎ澄まし、

その変化を隈なく観察し続ける。

すると徐々に観察している意識と肉体は全く違うものだと体感する。

肉体から離れた意識が、外側から肉体を観察する。

肉体は自分ではないことが明らかになる。

 

そして意識とともにあるのが、

すでに成就された救済、真の幸福だ。

 

ありました。

ありました。

見つけたような感覚になってしまいますが、

実は初めからからずっとここにありましたよ。

 

おやすみなさい。

感謝とともに♡

 

 

 

 

ACIM WB Lesson 71:Only God's plan for salvation will work.

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Lesson 71:Only God's plan for salvation will work.

 

「神の救済計画のみ成就されます。」

 

神の救済計画、それは赦しを通しての自己の解放。

 

外側に映るものに救済は無いってことは、

かなり前から、たぶんそうだろうなって思ってた。

 

救いはヒーリングだ。

 

罪悪感を持つことは病であって、

赦しを施すことはその治癒とも言える。

 

心の内面で生じる病である罪悪感、

赦しと癒やしも病が発症しているのと同じ場所、

心の内側で施される以外に治す術は無い。

 

外界(ヒト、モノ、状況)に依存すると、

自分の幸せは周りが変わることに掛かっている、という

なんとも不安定なものになってしまう。

 

そして不思議なのは、

自分のなかで幸福を自己完結してどんなときでも

明るい気分でいると、

周りの人々も楽しそうに映る。

 

自己の救済、

病の癒やしは、

心の内側から始まって、

どんどん外に流れ出し、宇宙に繋がっていくのだろう。

 

だから自分ひとりで行っているようで、

実は自己救済こそが全世界を救う道なのですね。

 

だから他人を救おうとか、世界を良くしたいという願いがあれば、

源が用意してくれている救済プランに乗っかっちゃえば言い訳だ。

そうすれば何をすればよいか、どこに行けばよいか、

誰に何を伝えればよいか、自然に導かれるのでしょう。

 

このところ眠りに入る直前に、

ものすごい量の情報と映像とメッセージが取り込まれる。

そしてそのスピードもすごいのだけど、

その瞬間は全てを理解している。

これはVipassana瞑想合宿でも体験した。

 

自分と認識している自分とは

明らかに違う存在が日々確かなものになってくる感覚を覚える。

 

しかしどうしてこのゲームを始めようと思ったのだろう。

 

ゲームだと気付いた今をもっても、

どんどんストーリーは膨らみ続けてゆく。

世の中の知らなかったことがどんどん明るみに出てきたりもしている。

カオスだ。

こんなときこそ今という一点を見つめ続けよう。

 

おやすみなさい。

良い夢を♡

 

 

 

 

 

 

 

ACIM WB Lesson 70:My salvation comes from me.

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Lesson 70:My salvation comes from me.

 

「救いはわたしの内側だけで起こります。」

 

わたしは救いをどこに求めていたのだろう。

 

外界に求めたとしたも、結局内も外も同じなのだから、

救いとその場所は関係するのだろうか?

 

Salvation=救い=人生ゲームの終焉=神意識へ帰還

 

わたしは救いをどこに求めていたのだろう。

 

ヒト、モノ、デキゴト、

外界に映るもの全ては自己の反映なので、

どこに救いを求めたとしても

自分に還ってくるのではないだろうか?

 

ヨガの練習、

ACIM、

瞑想、

マンデラエフェクト

Reiki、

ホ・オポノポノ、

日々の心の観察と気付き、

 

これらに救いを求めていたのだろうか?

これらの体制を通して、

自分自身の内側へ入る試みをしていたはずではなかったか。

 

多分これらの体制を通して、

コアの部分(心の自分)の再発見をした瞬間、

これらも手放す対象となるのだろう。

 

だから所有しているものは、

一旦全て失う。

全てが完全なる形であらわれる前に

一旦全ては消えてゆくのだろう。

 

だから、

悲しみにも喜びにも

執着をせず、

刻々と変化を続けるこのゲームを

淡々と粛々と

瞬間瞬間たのしみ味わう。

 

猫ちゃんの体調が心配。

今日、あたらしい獣医さんにみてもらった。

やはり脳腫瘍の可能性が高いようだ。

15歳という年齢も考慮し、

アグレッシブな治療はしないことにした。

暫くステロイド薬を続けるという選択。

 

出来るだけ一緒にいて、

お互い楽しい時間をゆっくり過ごしていきたい。

 

大好きだよ、ありがとう、

を繰り返して♡