Kizuki Cafe by ACIM実践者ルルジュゴン

ACIMの実践を通して、ルルジュゴンがラスベガスから愛のエネルギーをシェアします♡

自分探しって外界に自分を探すことじゃないよ。

Workbook for Students

Lesson 51:LESSON SUMMARY #1-5

Lesson #1: Nothing I see means anything.
Lesson #2: I have given what I see all the meaning it has for me.

Lesson #3: I do not understand anything I see.
Lesson #4: These thoughts do not mean anything.
Lesson #5: I am never upset for the reason I think.

 

ACIMのレッスン51からは暫く今までの復習となるようです。

 

復習、Review、Reinforcement、

これが学んできたことを定着させるとても効率的なメソッドですね。

 

ちょっと肩の力も抜け、Lessonを一日一日行ってきたことを思い出しながら、でも注意深く復習していきたいと思います。

 

さて、今日はACIMをちょっと離れて、瞑想中に飛び込んできたメッセージをもとに、現在北米全土で報道されている、白人警察による罪のない黒人男性が殺害されたことによるデモに関しての考察。

 

さらりと考察するには余りにも奥深いセンシティブな内容ですので、あくまである視点でのひとつの捉え方であることご了承ください。

 

人が心の琴線に触れるインパクトの強い出来事に遭遇した際、意識下の抑圧されていた個人的な強い感情が放出されることがある。

今回のアメリカでの騒動は集団的にこの現象が発生している。

 

ここでポイントとなるのが、出来事に巻き込まれた人物を個人的に知らなくとも感情の激しい噴出が起こるということ。

自分が過去に経験したこと、そしてその時に押し殺された感情と今、目前に起こっているインパクトの強い出来事を深く結びつけてゆくことにより、あたかも自分が傷つけられたような痛み、怒りが投影されるのだ。

 

そして感情移入と自己浄化の試みの入り口に立つ。

 

過去に抑制されたものは抑制された理由がある。

耐え難い痛々しい出来事であるため、無かったことにしたい、記憶から消し去りたいなどという自己防衛機能が、自己を精神崩壊から守ってくれていたのだ。

 

さて、一般概論はここまでとして。

私個人がこの事件を通して心の中の体験したこと。

 

無実の黒人男性が息を引き取る前に発した「ママ」という言葉。

ここでわたしはこの黒人男性と息子を重ね合わせていた。

人種も年齢も違うが、息子がもしこのような境遇に遭ったら。。。

そして最期に「ママ、、、」と言い残してこの世を去ったら。

想像しただけで耐えられぬほどの心の痛みを覚えた。

そして同時に警察官に対しての激しい怒りが湧き上がる。

 

そしてそこから怒りは飛び火して、白人に対しての憤りが顕われる。

そうだ、白人(アメリカ人)はいつだってマイノリティーを下に見ている!

という思いを抱いていた自分に気付く。

アメリカに渡ってきた30年以上も前のこと、片田舎に留学していたわたしは、町で日本人一人の環境の中人々との意思疎通が思うように取れず四苦八苦していた。

ストアーで店員に質問をしても通じない。

マシュマロを探していても、マシュマロが通じず、ストアー中の人が集まったこともある。でもこれは結構当時も自分でも笑えた。

授業は先生の言っていることがわからない。質問できない。

なんか皆わたしのことを誤解している。でも自己表現が余りに稚拙で自分じゃない気がする。

自己主張しない、おとなしく性格のすこぶる良いアジア人と見られていたと思う。違うんだぞ、結構日本語しゃべると面白んだぞ、とストレス溜まった。

電話でカスタマーサービスと話すときは、”Ha?”と素っ頓狂な声で、

”何言ってんですか?”って聞かれるとかなり頭に来た。

スーパーバイザーを呼べと怒鳴って、”おたくの従業員は英語が不自由な外国人を差別してる!”と喚き散らしたこともあった。

 

そしてそれは結婚してからも内容と頻度と程度を変えて続いてきた。

白人の夫の家族の集まりの中、自分は無視されて大切にされていない感覚があった。何をさせたわけではない。多分自分のコミュニケーション能力と積極的に打ち解けようとする努力の欠如が主因だったような気が今となってはする。

 

夫への怒り。様々な出来事のなか夫への失望、わだかまり、嫌悪感、こういったものも、白人権力者に対する憎悪の要因になっているようだ。

これらは詳しく書くと超長くなるので割愛。

でも今では、夫への怒りは結局は自分への怒りの投影であったことに気付き、関係は信じられないほど改善されている。

 

つまり、この事件を通して自分の中の痛々しい部分が炙り出されているのだ。

じっくりと自分の内面を観察する。痛い部分も忌避せずちゃんと痛いと認めて感じてあげる。そして痛いと感じたことに罪悪感を感じていなかったか自分に問う。

罪悪感を覚える必要な全く無かったことを自分に優しく伝える。

嫌だ〜!とか痛い〜!とか大嫌い〜!と思った気持ちの数々を、それぞれが重要なエモーションだったこと、感謝して、そして尊厳のもと葬ってあげる。

ネガティブを毛嫌いすると、結局またその思いを反復することになる。

必要なのは自己の内面に入って徹底的に正直に自分に問い続けること。

そして徹底的に正直に認め、こたえてゆくこと。

このプロセスに批判は厳禁です。

批判させるのが怖いから、多くの意識が隠れちゃってるんです。

 

自分探しって、源に帰っていくための前段階として必要な、ゲームの山場、最難関な部分ですね。

だから探しているものは外界になんか無いんです。

全部自分の中に全装備してるんです。はじめから。

その部分に触れた時、自分への愛が溢れ出し、世の中で起こっていることは

人々が自分の中に還って行くために現われてくれていると知ります。

 

その意味で、殺害された黒人男性の魂(現世でのキャラでなく)に敬意を払うと同じくらい、殺人を犯した白人警官にも、その魂に敬意を払いたいと思います。

 

ではまた♡