Kizuki Cafe by ACIM実践者ルルジュゴン

ACIMの実践を通して、ルルジュゴンがラスベガスから愛のエネルギーをシェアします♡

ACIM WB Lesson 43:God is my Source. I cannot see apart from Him.

Workbook for Students

Lesson 43:God is my Source. I cannot see apart from Him.

 

「神はわたしの根源です。何事もその神から分離して見ることはできません。」

 

神の領域においては知覚というものは無い。

神は智慧であるからだ。

 

さて、知覚と智慧が二大特質のように書かれているが、

そもそもなぜ、知覚と智慧なのだろう。

そこから疑問が湧いてきた。

 

アバターである肉体は知覚を通して情報を取り込む。

そして様々な知覚が積み重なって経験というストーリーを創り出し、

その蓄積がKnowledgeとなる、

というのがわたしのぼんやりとした理解、感覚であった。

 

神のKnowledgeとアバターとして個々の肉体が持つKnowledgeは

明らかに違うものなのであろう。

 

神のKnowledgeとは何だろう。

幻想世界で作り出すそれとは異次元のものであることは想像できるが、

知覚との比較におけるKnowledgeとは?

 

PerceptionとKnowledgeの架け橋として神とアバターを繋いでくれるHoly Spirit。

 

そうか、この世のゲームにおいて、Holy SpiritがKey Personになってくる訳だ。

そのHoly Spiritの正体は?

 

今という意識にフォーカスするとき、

宇宙(全体)の流れに逆らわずに自らが身を任せているとき、

インスピレーションを授かるとき、

シンクロニシティを体験するとき、

瞑想時に求める繋がりの先にあるもの、

無限の自分と対面するとき、

それらは神と直接呼応していたようで、

実はHoly Spiritが間を取りもっていたということだ。

 

Holy Spiritは多分未来系の自分自身、あるいは

地球外生命体、あるいは

Guardian Angel(守護霊)、あるいは

Higher Selfであろう。

とにかく自らを導くものだ。

 

おぼろげながらこのゲームのキャスティングが明確になってきた。

 

そしてどのキャスティングも結局、

自分自身だ。

 

今回のレッスンは源である神を通してしか、

この世のものを見ることはできない。

でも、知覚というゲームのツールを想定して遊んでいる我々には

Holy Spiritが本来の神との橋渡しをしているということなのだ。

 

Holy Spiritが、我々が幻想の中の遊びとして使っている知覚を、

神のKnowledgeに限りなく近づけてくれるというのだ。

そこに救済があり、意味の無かった知覚が大きな意味を持つようになる。

 

その意味とは、他人を許し、自分を許すということ。

 

知覚をそのように変容してくれるHoly Spirit(未来の自分)を信頼して、

あとは一瞬一瞬を精一杯楽しく生きていくというのが

一、アバターができる最大の奇跡なのだろう。

 

では良い一日を♡