批判している人を批判している人(自分)
新型コロナ感染症騒動による報道の中、世は様々な批判や攻撃で溢れている。
正しさを求めて、常に何か対象を見つけては、やっきになって批判、攻撃をしているように見受けられる。
特定の国であったり、政治家であったり、特定の政党であったり、制度であったり、自粛令を守らない人であったり、守りすぎる人であったり、違う考えの人であったり、対象はさまざまできりがない。
自己が脅かされるかもしれないという恐怖から、脅威の根源を外に探し、それを正そうとしたり抹殺しようとしたりする。
新型コロナウイルス自体を変えたり消したりすることができないので、違う対象を見つけ攻撃の的にする。
何かと戦っているとき、攻撃する時、ストレスホルモンの上昇で一瞬元気がでて恐怖を忘れることができる。
同じ対象を一緒に批判や攻撃できる仲間がいればもっと力がわく。
攻撃する人は怯えているのだろう、対象を否定することにより自分の正しさを証明したいのだろう、、、
と客観的に見ていればいいだけの話なんだけど、
「批判しているひとを批判して心をざわつかせているひと」
「攻撃している人を攻撃しているひと」がいる。
紛れもなく自分だ。
夫が特定の国や政党、SNSの投稿記事などを批判する。
こころが落ち着かなくなり逃げたくなる。
自分が正しくて、周りが愚かだ、という独断的な態度にとてつもない抵抗を感じる。なぜか傷ついたような感情まで芽生える。
そんな夫の態度を変えようとしたり、無視したり、意見したりして戦いモードになっている自分がいる。
どうして批判している人、攻撃的な人にこんなにも反応しているのだろうか。
多分自分のなかの攻撃性を目の当たりに見せつけられているからだろう。
批判したい、攻撃したい、いじめたい、ばかにしたい、貶めたい、優位に立ちたい、こういった自分のなかの自分で嫌な部分、見たくない部分、認めたくない部分を、攻撃する人を通して見ているのだろう。
批判したい、攻撃したい対象は外にあるようにみえて、実は自分自身だったりする。
どんだけ自分をいじめたいのか。
どんだけ自分を蔑ましたいのか。
どんだけ自分を過小評価しているのか。
こうした重圧が取り除かれて、心が軽く自由になったとき、
批判してる人、攻撃してる人を
批判したり攻撃したりしなくなるんだろうな。きっと。
おやすみなさい。
良い夢を♡