ACIM Day 6 WB Lesson 6: I am upset because I see something that is not there.
A Course In Miracle
Text Chapter 1 The Meaning of Miracles
VI. The Illusion of Needs
Workbook for Students
Lesson 6. I am upset because I see something that is not there.
昨日からあらたに教え叩き込まれているのが、
心の乱れはその大小に関係なく、心の平安を築く妨げとなる、ということ。
本日のレッスン、私が心乱されているのは、実態のないものを見ているから。
I see something that is not there、ってなんか亡霊でも見ている感覚でしょうか。
つまり本来の自分、源と繋がった状態を思い出した自分は、心が乱れるなんてことはありえないんです。
心乱れるって事自体がある意味「神業」みたいに異常な状態であって、どうしてそんなことが出来るのってレベルの不思議現象なんです。
そこにないものを自分で幻をつくりだして見ている。そしてその自分で作っちゃった幻をみて心かき乱している。
ま、そういうことです。
新型コロナ感染症も本当は自分がつくりだしたものなんです。人間の集合意識が。
おっきな視点まで登って見てみると、自分が作ったものは作ったもの。本質である自分(源あるいは神)が作ったものとは違って、あくまで幻想。
概念の上での時間と空間の中でつくりあげたファンタジー。
幻であるかどうかは、心乱れているかどうかでわかるということなのですね。んじゃ心乱れていないときは実態を見てるってことか?
・新型コロナ感染症に恐れを抱いているのは、新型コロナ感染症の存在という幻を実在するかのように見ているから。
・子どもたちの先行きが、健康が、安否が心配でならないのは、子どもたち、という自分とは違う存在が実在するという幻想を見ているから。(本当は自分と子どもたちは同じ)
・お金が無くなっちゃうんじゃないかっていう危惧は、お金という存在や、今の景気先行きという実態のない存在を信じているから。
わかる。わかる。わかる
でも見ているものが全部幻想で、消えてゆくものって、あまりにも切ない。
子どもたちだけは特別。って、特別だと思いたい、信じたいという部分が頑なに最後まで課題として残っちゃいますね。やっぱり。ここだね。
自分にとっての特別な存在、そこが何かを気づく大きなシンボルなのだろうね。
今日もバックヤードから見えるFrenchman's Mountainは壮大で美しく、Stripの夜景もちょっとか弱いけど、でも美しい。
窓の外を見るたびに、それこそ現実感がわかない程の美しさ。
でも自分とは癒着していないので、客観的に美しいと思うだけ。
だから気楽でいい。
癒着を剥がしていくのは痛々しく辛いような気もするけど、
それも幻想でしかないのでしょう。
愛する人達も幻想。自分の外にあるものではない。
そう思うとほっとするね。
おやすみなさい。
素敵な夢を♡