ACIM Day 5 WB Lesson 5: I am never upset for the reason I think
A Course In Miracle
Text Chapter 1 The Meaning of Miracles
V. Wholeness and Spirit
Workbook for Students
Lesson 5: I am never upset for the reason I think
今朝なんとなく自分に言い聞かせたこと。
”とっとと終わらせよう、って気持ちでものごと進めてない?
テキパキとこなしていくことにこだわって、こころを込めてその時、そのものにフォーカスすることを疎かにしていない?”
Livestreamでヨガをしていると、先生からの一方通行の発信であることに甘んじて、
スタジオで行うときより気が抜けてる時があることに気が付いた。
ライブなので、先生や同時に練習している仲間達の見えないエネルギーは感じるが、
スタジオではもっと集中して、クラスの最後まで気持ちを維持し続けている。
自宅で一人だとちらちらと時計を見たり、マットから離れてゴミを捨てにいったり、
”今”から離れている瞬間瞬間が多分にある。
そしてACIMの学びも一日一レッスンをこなそう、ということにこだわって、
集中が途絶えることがあることに気がついた。
心をしっかり固定して、瞬間瞬間を捉えていこう。
このブログを書くことだって、内容の善し悪しではなく、自分の気持を味わいながら正直に綴っていくことに丁寧に向かい合っていこう。
今日のレッスン。
心の乱れは、どんなものであれ自分が考えているようなことが原因ではない。
恐れ、心配、落ち込み、不安、怒り、憎しみ、嫉妬、、、
これらの感情が起こる時、原因であると自分が考えていることは、所詮その場の表面的なものに過ぎず、真の根本の理由ではない。
心の乱れの原因は全て同じ根源からくるもので、そこを解決しない限り真の解放はない。
このレッスンを実行するにあたり、こういった感情(怒りや恐れ)に、重要性の差や、強さ弱さで区別しない、ということが特に重要であるようです。
「心が煮えたぎる程の怒りも」、「一瞬の苛っ」も全く同じであって、ちょっとした”イラッ”でも真の心の平安は築けなくなる。
・新型コロナ感染症がラスベガスの景気を著しく後退させる気運にあるから、というのが、私が新型コロナ感染症を恐れている原因ではない。
・子どもたちの今後生きていく社会が不安定になるかもしれないから、というのが私が子どもたちを心配している原因ではない。
・政治的な批判や口論を好んでYouTubeなどで観ているのはくだらない、というのが私が夫にイラッとした原因ではない。
・思うように体重管理が出来ない自分はだらしない、というのが私が私にフラストレートしている原因ではない。
出てくる、出てくる。
心の乱れ。ちっちゃなものからおっきなものまで。そしてちっちゃなもの、日常のちょっとした苛立ちには意識を向けることもなかったような気がする。
そういった苛立ちや、精神の起伏は当たり前のことのように認識していた。
レッスンではこれらの心の乱れの根源探しは避けるようにとのことだったので、本日の練習は全ての心の乱れは自分が考えていることが原因で心を乱しているわけではない、と学ぶところまで。
こりゃ深いぞ。
いずれレッスンを進めるうち、この心の乱れの根源をあぶり出し、根こそぎ取り除くことができれば、世界は、きっと完璧なる源と再び繋がれるのだろう。
自分の内面で起こっていることが、外界でも同時に起こっていて、
それは投影だから当たり前なのだけど、なんだかそのシンクロのスピードがすごくて、
静かな畏怖を感じます。
外出自粛令で家に閉じ込められた今、
明日から意識して積極的に楽しい会話をしたり、一緒に映画を観たり、ハイキングに行ったり、美味しいものを食べたり、
自分の時間はしっかり持って自分と対峙しながらも、
夫とももっと心を分かち合っていきたいという思いが心をよぎりました。
おやすみなさい。
素敵な夢を♡