Kizuki Cafe by ACIM実践者ルルジュゴン

ACIMの実践を通して、ルルジュゴンがラスベガスから愛のエネルギーをシェアします♡

ACIM Day 2 WB Lesson 2: I have given everything I see all the meaning that it has for me.

ラスベガスも試練のときを迎えています。

 

ネバダ州知事による昨夜の外出自粛令とビジネス全面停止指示を受け、街は静まり返っています。通っているヨガスタジも30日間閉鎖となりました。一昨日Costcoに食料の買い出しに行ったのですが、開店前から広い駐車場をぐるぐると旋回した長蛇の列、ニュースレポーター、おびただしい数のパトカー、店内も喧嘩腰で怒鳴っている人、賛美歌を大きな声で歌う女性、空っぽの棚、全てが非現実的な光景でした。

 

シアトル時代のヨガスタジオの講師が、Livestreamでヨガを教えてくれていて、リアルタイムで人と繋がれる有り難さを身に沁みて感じました。

 

今日のWorkbookの学び、Lesson2「I have given everything I see all the meaning that it has for me.」

昨日のLesson 1同様、目の前のものから目に留まるものに、自分にとっての意味付けをした、と確認していきます。このテーブルに自分にとっての意味を与えた。この椅子にも、このワインボトルにも、このスマホにも。そして視線を遠くに飛ばし、あのプールに自分は自分にとっての意味付けをした。あのランプも、あの植木も、と目に映るものをどんどん当てはめていきます。

 

自分にとっての意味付けをしなければ、そこに意味は存在していなかった。意味付けをすることによって、意味があるような幻想が生じ、どんどん自分はその存在達にぺたぺたと粘着していっている。

 

異常な現実が目の前に繰り広げられる中、目に映るものは幻想であるという事実は受け入れやすいものとなっています。意味付けしなければただの波動の塊です。ぐにゃぐにゃとしたエネルギーに、その性質を利用して、心の中で瞬間瞬間に意味付けしています。意味づけして幻を映し出している。

 

人はエネルギー魔法使いですね。

 

一個一個に癒着した意味をリワインドして取り除いてみたら、どんな世界なんでしょう。イメージ的には廃墟のような、薄暗い、少ーし怖い場所のような気がします。愛の中にある永遠の安らぎという感覚が、身体の反応として感じられない。

 

意味付けしたために幻想として現れているこの世界こそが虚像で、ラベリングされないまっさらなもののなかに実像があるはずなのに、それが体感されない。目の前の美しい世界が幻であるということを認めるのがとても怖い。

 

怖さを克服するために怖さ以上の衝撃が与えられるということもあるのだろう。現在世の中で起こっていることと正にリンクしています。

 

おやすみなさい。素敵な夢を♡